闘病しながら大学生活へ
(鹿児島県のAさんからのお手紙
ネフローゼステロイド依存型、12歳の時に発症、女性)
 
 
      
 いつもお世話になっております。

 今回初めて手紙を書かせていただきます。私は平成6年の10月、小学校6年の時にネフローゼ症候群と診断され、治療を受けてきました。プレドニンも効きが悪く、パルス、ブレディニン、エンドキサンも副作用ばかりが出てきて、同じ結果でした。その後も自分でも不思議に思うぐらい何回も何回も再発を繰り返し、中学は養護学校へ通いました。高校は普通の公立を受験し、無事合格しましたが、大きな再発があり、入院してもなかなか(―)にはならず、副作用で体はボロボロになり、東京の病院へ送られてしまいました。4ヶ月してやっと8ヶ月間もダラダラと出続けていた蛋白が(―)になり、鹿児島へ帰ることができました。

 1年遅れで高校に復帰して両親や友達に支えられながら無事平成14年3月に卒業することができました。しかし卒業できたといっても、ほとんど授業には出られず入院も在学中3回もしてしまい、腎康丸を平成13年の12月から服用しましたが、なかなか効き目が現れずに大学受験は見送りとなりました。しかし腎康丸を服用して半年ほど経った頃から急に体の調子がよくなり、それからは蛋白が(++++)出てしまっても、1〜2週間ですぐに(―)になり、自分が病気だということを忘れてしまうぐらい良くなりました。

 私は今年の4月頃、ずっとあきらめていた事、両親にはとても言えなかったことを思い切って話しました。「県外の大学に行きたい」というのが高校1年の頃から私の心の中にありました。勿論両親には反対されました。

 調子は良くなったといっても小学生の頃から常に誰かに見守られているという安全な場所で生活をしてきたし、今年私は20歳になりましたが、まだ「社会」というものに慣れていません。当然県外へ出れば「困った時に誰かが」というのは今までのように行きません。

 でも私は腎康丸で私の病気は治ると信じていたので、あきらめずにずっと言い続けました。そしてとうとう母がOKを出してくれました。母は「病気してからあんたとこうやって口げんかとか言い争いをしたのは初めてじゃない?」と言いました。私も最近それはよく感じていました。まだ再発を繰り返していた時は病気以外のことで悩んだり泣いたりしたことはなかったのに、今は進路のことや友達のことでたくさん悩んだり、泣いたりしています。すごく幸せなことだなぁと思います。

 9月にAO入試(面接と課題という形の入試)を受け、1週間前に合格通知が届き、来年から○○大学へ通うことになりました。今まで力になって支えてくれた両親、姉、友達、病院の先生、そして吉田さんに心から感謝しています。私はまだプレドニンも10mg飲んでいるし、他の薬もたくさん服用していますが、これからも明るく前向きに、周りの人への感謝の気持ちを忘れずに病気と闘っていきます。そして必ず元気になって、今度は私がいろんな人の手助けができるような仕事につきたいと思っています。入院したての頃は何で私だけが・・・と思っていましたが、この病気になり、たくさんの人と出会えて、多くのことを学べて本当によかったです。

 これからだんだんと寒くなってきますが、吉田さん、体に気をつけて下さい。
今後とも宜しくお願いします。そして皆さんの病気が早く良くなりますように。

     

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