19、
報告が遅くなりました。
腎康丸を中止して4ヶ月になります。その間、本当に元気に過ごしてまいりました。先日の病院での尿検査も全く異常はありませんでした。風邪を引くこともなく、毎日忙しく過ごしています。
息子はこのようにとても元気です。他の皆様も回復される日が近いことを願っています。
趙先生によろしくお伝え下さい。本当に有難うございました。
吉田様、お体に気をつけて下さい。
20、
お盆が過ぎた頃から漸く夏らしい暑さとなりました。こちらは大変元気に過ごしています。夏休み中、外で遊び、野球をし、プールに行き、少し前までは考えられないぐらい活発に遊んでいます。月に1度の病院での検査も(−)です。今のところ大丈夫です。息子の顔は真っ黒に日焼けしています。
病気のこともすっかり忘れたように周りの子供たちと同じように毎日を楽しんでいます。
吉田さん、趙先生には本当にお世話になりました。有難うございました。他の方々も息子のように元気に過ごせる日々が送れることをお祈りします。
趙先生には本当に本当にお世話になり有難うございました。
21、
吉田様
報告大変遅れました。すみません。大変お世話になっていながら、失礼致しました。
息子は毎日毎日暑い中、元気に学校へ登校し、放課後は6時過ぎまで野球をしている毎日です。とにかく元気はつらつで毎日を過ごしています。
月に一度の病院での検査も今年の3月30日で終了となりました。このまま特に何もなければ、ずっと健康のまま過ごせそうです。
2年間の観察もこれで無事終了し、趙先生、吉田様には大変お世話になりました。ありがとうございます。どう言葉を表しても表しきれないぐらい感謝の気持ちで一杯です。
趙先生にもどうぞよろしくお伝え下さい。本当にありがとうございました。吉田様もどうぞお体を大切にして下さい。
この会員の方は紫斑病性腎炎患者の中では当会の比較的初期の会員でした。腎康丸治療が終了し観察段階に入ったのは2002年7月で、観察段階を無事に卒業したのは2004年7月でした。最近ご連絡したところ、元気に過ごされているということで、とても嬉しく思います。
平成20年7月9日 編集者より
22、
息子が数年前には大変お世話になりました。
今では あの絶望していたあの頃がなんだったのかという位幸せな何処にでもある生活を送っています。小学校三年から始めた野球を7年間続けていますが問題なくしています。
日常生活ではどこにでもいるような中学生活を送っています。小学五年生の時に小児科の経過観察も終わり月一回の検尿もなくなり腎臓病で通院する事は無くなりました。
息子は今身長164cm 体重55Kgです。何処にでもいる中学生になっています。本当に趙先生にはお世話になりました。助けて頂き本当に有り難う御座いました。
吉田さんが亡くなった事を知った時は大変ショックを受けました。一度お会いして御礼したかったというのが正直な気持ちです。吉田さんが
レインボー会のホームページを開設してなかったら、今頃息子は人工透析になっていたかも知れません。なんと感謝していいか分かりません。
レインボー会代表を引き継がれた矢野様よろしくお願い致します。一人でも多く健康を取り戻せることをお祈りします。
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小さい時の闘病生活をどう感じたかについての調査結果 New
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(男性、入会時6歳、現在23歳、紫斑病性腎炎。お母様からのお手紙)
平成29年12月18日 編集者より
23、
矢野様
レインボー会には大変お世話になっていました。そして吉田様にもお世話になっていました。本当にありがとうございました。息子は24歳です。社会人となり1人で生活をしています。高校まで野球を続け、大学から1人で生活をしています。特に体の不調を訴えることなく元気にしています。
今思うと…すっかり忘れてしまっていることが多い位、その後は健康にそして何でもない普通の生活をしています。どうだったかな?と…。
1、ずいぶん前に息子に「この時(病気の時)どうだった?というようなことを聞いたことがありました。返事は「ん!テレビを病院でみとった…」とだけであとは「痛くもなかったし」というような答えだったと思います。この時は既にすっかり健康的な生活で野球の苦しい毎日の時間の方が辛かったようで病気の記憶が薄れていたみたいです。この時母親として今が楽しいようで充実しているようでほっとしたのを覚えています。制限…疲れないようにとしていましたが、何だか友達とよく遊んでいました。友達と遊ぶことが一番疲れなかったようです。
息子は小学校入学前の9月〜11月までの入院だったので、あまりにも病室ばかりにいるので「このままずっとここ!」等と言っていましたが…。
2、服用の仕方は小さく丸めて飲んでいました。
3、学校での制限ですね。体育や遠足、運動会は1年生の時不参加でした。胸が痛いこともありましたが、一年経つうちに制限のある生活に慣れてしまい、特に何も思わなくなりました。その頃息子が良くなっていき制限が全くなくなりました。
4、病気で悩んだというか申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。当たり前のことを出来ないもどかしさ等で申し訳なかったです。
答えになっているかは分からないのですが、将来のことを考えた時、息子が暮らしていけるよう、デスクワークが出来るような仕事、知識がいかせる仕事ができるよう、家庭で勉強については少々強く勧めたと思います。健康を取り戻してからは自分から勉強には取り組んでいましたが、やはり親としては将来を考えます。体力の仕事では無理かもと思いましたから。
息子は病気だったのかと思うぐらい健康的です。息子からですが、病気のことを5、6歳の時に話されても全く何のことかわからないそうです。話さなくてもいいと思うと言っていました。
この時、家族中入院時以外は全く普通でした。困ったこととか傷つくことも多かったのですが、普通でした。普通が難しいのですが、少々制限があるだけで後は家族でいられるから何だかそれだけで嬉しかったのを強く覚えています。
全くお役に立てているかは分からないのですが、またお役に立てることが少しでもありましたら、連絡を頂けると思います。それでは失礼いたします。 |