慢性腎炎
成人女性(31歳)の治癒から結婚・出産までの道程

 
 
前略

 突然のお便り、失礼致します。私はレインボー会を通じ、吉田将介様に筆舌に尽くせぬ程お世話になったものです。今回、このようなお知らせを頂き、あまりのショックに暫く言葉が出ませんでした。

 私がレインボー会の存在を知ったのは2003年の春か夏頃でした。インターネットを通じて知りました。

 私は現在31歳で、慢性糸球体腎炎と診断されたのは16歳の夏の検査入院(腎生検)でした。その頃より、いつも尿検査で蛋白尿が多量に出ており、マイナスになることは一度もありませんでした。

 それ以来、私や私の母は何とか治る方法はないものかと人から聞きつけては走るといった日々を過ごしていましたが、特にこれといった決め手となるものはありませんでした。

 時には薬のことや、治療のことで苦い経験も味わいました。ですので、失礼ながら、レインボー会の存在を知った頃ももうダメもとで、お金も少し位ならムダにしてもいいから試してみようという気持ちで吉田様へご連絡を電話にて直接させていただきました。

 お電話でお話させていただいた吉田様は本当にご丁寧でご親切で始めてみようというきっかけに大きな弾みをつけて下さいました。

 飲み続けて半年が過ぎた頃、職場で健康診断がありました。16歳のあの時以来ずっと続いていた蛋白尿が検出されていなかったのです。本当に嬉しく、奇跡ではないか、まぐれではないかと思ってしまいました。その後もお薬を飲み続けてはいたものの、少しずつ飲まなくなっていきました。この間、仕事の忙しさにかまけて、吉田様に経過報告等を全く行わずに過ごしていました。

 このように何となく過ごしているうちに、私の結婚が決まり、そして間もなく子供が産まれる予定です。
 この病気になった時から、妊娠や結婚は出来ないのではないかと心の中でずっと不安に思い、苦しく思っていました。それが結婚も出来、子供も産めるなんて、妊娠検診では糖は時々出ても蛋白尿は一度も出ていません。

 本来ならば、このことをまず一番最初に、吉田様へご報告し、お礼をしなければならなかったのにと、今、それを一番悔やんでいます。本当に辛いです。私の母も私同様本当にショックを受けておりました。

 吉田華子様も大変お辛いと思いますが、私の一生の中で吉田将介様はずっと忘れられない方です。多くの見ず知らずの人間がそう思っているということを知っておいて下さい。

 私自身も一度もお会いしたことのない方に、このように支えられて、今の幸せが成り立っているという現実を生まれて初めて知りました。素晴らしい方に出会えた事に心より感謝申し上げたいです。ありがとうございました。
                                        草々



観察段階卒業後

  
この方にご様子を伺ったところ、娘さんはもう2歳になり、そして本人はずっと元気に過ごされているという嬉しい近況報告を頂きました。    
  平成20年7月31日                     編集者より


矢野真理子様

 はじめまして。
 先日はお便りどうもありがとうございました。偶然にも私が実家へ立ち寄った日にお手紙が届いており、とても不思議に思いました。

 矢野様も長い間患っていた病が完治したとのこと。病名は違えど、とてもその間のお気持ちが共感でき、私も矢野様が元気に過ごされていることを心よりうれしく思います。また、お忙しい中このレインボー会の代表を務めていただき、心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。

 私の体調ですが、お蔭様でその後大変元気に暮らしております。やはり夏場は苦手で多少むくみがちの時もありますが、蛋白尿が出る事もなく、2歳になる娘の育児に追われながら楽しく過ごしております。

 レインボー会は私にとって良い印象しかありません。それというのも、亡くなられた吉田将介様が実に立派な方であったこと。それが大きいです。恐らくそのような吉田様がこういった矢野様、趙先生といった素敵な方々と通じ合うところがあって、この会の輪が広がっているのだなと認識しております。

 趙先生には私の人生を変えていただいた恩人とずっと心の中で思い続けています。そう私が申していたとお伝えいただけますか。

 矢野様には大変お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。お返事が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。
 矢野様もどうぞ末永くお元気に過ごされることを心よりお祈りしております。乱筆、乱文をお許し下さい。



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