ネフローゼ症候群紫斑病性腎炎闘病体験(29)
成人会員の闘病体験
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29)
<A>長崎県の会員からのお手紙(ネフローゼ)
吉田華子様
光陰矢のごとしとの言葉通り、今年もあわただしく過ぎようとしています。お元気ですか。
こちらは本格的に寒くなりました。知らぬ間に雪が降ったのでしょうか。隣の家に氷柱が出来ていました。明日の予報では、雪のようです。風邪を引かないように、気を付けたいと思います。
私はと言うと、体調良好で、プレドニン7.5mg服用中です。順調に減量しています。尿蛋白もマイナスでこのまま良い方向に進むことを祈るばかりです。今回も腎康丸の手続きをお願いします。毎回お手数をおかけします。宜しくお願いします。
師走を前に、ご多忙の日々かと存じます。どうぞご無理をなさらないように。
<B>神奈川県の会員からのお手紙(慢性糸球体腎炎)
前略
突然のお便り、失礼致します。私はレインボー会を通じ、吉田将介様に筆舌に尽くせぬ程お世話になったものです。今回、このようなお知らせを頂き、あまりのショックに暫く言葉が出ませんでした。
私がレインボー会の存在を知ったのは2003年の春か夏頃でした。インターネットを通じて知りました。
私は現在31歳で、慢性糸球体腎炎と診断されたのは16歳の夏の検査入院(腎生検)でした。その頃より、いつも尿検査で蛋白尿が多量に出ており、マイナスになることは一度もありませんでした。
それ以来、私や私の母は何とか治る方法はないものかと人から聞きつけては走るといった日々を過ごしていましたが、特にこれといった決め手となるものはありませんでした。
時には薬のことや、治療のことで苦い経験も味わいました。ですので、失礼ながら、レインボー会の存在を知った頃ももうダメもとで、お金も少し位ならムダにしてもいいから試してみようという気持ちで吉田様へご連絡を電話にて直接させていただきました。
お電話でお話させていただいた吉田様は本当にご丁寧でご親切で始めてみようというきっかけに大きな弾みをつけて下さいました。
飲み続けて半年が過ぎた頃、職場で健康診断がありました。16歳のあの時以来ずっと続いていた蛋白尿が検出されていなかったのです。本当に嬉しく、奇跡ではないか、まぐれではないかと思ってしまいました。その後もお薬を飲み続けてはいたものの、少しずつ飲まなくなっていきました。この間、仕事の忙しさにかまけて、吉田様に経過報告等を全く行わずに過ごしていました。
このように何となく過ごしているうちに、私の結婚が決まり、そして間もなく子供が産まれる予定です。
この病気になった時から、妊娠や結婚は出来ないのではないかと心の中でずっと不安に思い、苦しく思っていました。それが結婚も出来、子供も産めるなんて、妊娠検診では糖は時々出ても蛋白尿は一度も出ていません。
本来ならば、このことをまず一番最初に、吉田様へご報告し、お礼をしなければならなかったのにと、今、それを一番悔やんでいます。本当に辛いです。私の母も私同様本当にショックを受けておりました。
吉田華子様も大変お辛いと思いますが、私の一生の中で吉田将介様はずっと忘れられない方です。多くの見ず知らずの人間がそう思っているということを知っておいて下さい。
私自身も一度もお会いしたことのない方に、このように支えられて、今の幸せが成り立っているという現実を生まれて初めて知りました。素晴らしい方に出会えた事に心より感謝申し上げたいです。ありがとうございました。
草々
<C>福岡県の会員からのお手紙(ネフローゼ)
吉田様
こんにちは。いつもお世話になっております。先日、吉田華子様からお手紙を頂き、大変驚きました。とても残念に思います。将介様のお蔭で、私はこうして毎日を楽しく元気に過ごすことが出来ました。
感謝の気持ちでいっぱいです。これから辛いことがあっても、苦しいことがあっても、吉田様のことを思い出し、頑張って行きたいと思います。
今後の会の運営などで、忙しい時期だと思いますが、くれぐれも体調にお気をつけてお過ごし下さい。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
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