●三重県のFさんからのお手紙
レインボー会 矢野真理子様
返事が遅くなってしまい申し訳ありません。○○○○○と申します。今回お手紙を頂いたことを嬉しく思うと同時に、自らの経験が少しでも助けになればという思いで書かせてもらいます。 質問事項に沿って返答していきます。
1、小学校5年生の時に紫斑病性腎炎を患いました。足を中心に紫斑が現れ、腹痛を伴い、小児科にて突然の入院が決まった時は信じられないという思いと不安、恐怖から泣きじゃくっていた覚えがあります。きっと様々な思いが生まれたのだろうと思いますが、今になって思い起こすと病気について知識が未熟な子供にとっていきなりの入院となれば、気持ちの整理に多くの時間がかかると思います。(ちなみに、私の場合は、寂しさや不安から、入院中何か月か母親に24時間付きっきりで居てもらわないといけない状態でした。小学校5年生としてはお恥ずかしいなと今は思いますが、それほどの精神的に参っていたのも確かです。)
入院してからは、治療法がまだわかっていない病気であったため、腎臓に負担をかけないための減塩食や副腎皮質ステロイド薬によるステロイドパルス療法を主に行い、そこにプラスして両親が取り寄せてくれた、腎康丸を毎日服用していたのを覚えています。また、検査では腎生検をしました。特にステロイドパルス療法や腎生検後、殆どベッド上での生活になったのが辛かったです。ベッド上での排泄は羞恥心が伴いますし、私はスポーツが好きでずっとバレーボールをやっていましたから、運動ができなくなること、チームのみんなにおいていかれることに対して恐れを抱いていました。
どのようにしてほしかったのかという問いに対しては、少し違うかもしれないですけど、入院中自分の救いになったことを答えます。まずは、同年代の同じように病気と闘う子供と仲良くなる機会があるということです。私の場合すごく運が良かったのかも知れないですが、同い年の女の子と隣の病室になり、毎日どちらかの病室を訪れて遊んでいました。憂鬱だった入院生活がすごく楽しく感じられるひと時でした。親同士も親が抱える苦労や不安を共有でき、共感できることで気分転換になるのではと思います。また、両親が私の目の前で病気になったことに対して悲しんでいる姿を見せなかったことも有り難かったです。悲しむ姿というよりは、私のために腎康丸を探してくれたり、飲みやすいようにしてくれた姿、外泊日には家族みんなで減塩食を一緒に食べてあたたかく見守ってくれたことにとても愛情を感じ、寂しさという感情が和らいだと思います。
2、腎康丸の服用は母からも聞いているかも知れませんが、飲み込める程度に一つ一つ丸めてもらい、オブラートで包んで味が分からないようにしてくれていました。数は多くなるけど、数に慣れたら本当に苦みも少しなので飲みやすかったです。
3、学校については、まず、入院して状態が安定してからは病棟を移動し、病院に併設されている学校に一度転校し新たな出会いがありました。そこでの思い出は楽しいものばかりで、友達に恵まれたと思っています。勉強は遅れがあるという不安はありましたが、授業を受けて、宿題をして、少しずつ元の生活に慣れていく状態になったので有り難かったです。病院を退院してからは、元の学校に戻りましたが、最初はみんなと会うのが少し不安でした。暫く会えていなかった友達に、入院前より運動していないせいか太ってしまった自分をどう思われるか気にしたり、バレーボールをみんなより下手になってしまったことにショックを受けたり、周りを気にすることが多かったと思います。自分がその時どのように対処したのか記憶にないのですが、担任の先生がよく気に掛けてくれていたのは安心感がありました。
4、悩んだことは、もし病気が治らなかったらどうしようという悩みや、副作用による自分の見た目のこと、学校に馴染めるかや元の学校でまた同じようにやっていけるかということについて、記憶に良く残っています。
あまり為にならない内容かもしれませんが、少しでもお力になれば幸いです。ちなみに近況としては、今年、看護師、保健師、助産師の国家試験に合格でき、4月から病院にて助産師として働く予定です。病院の道を目指すきっかけとして病気の経験が大きかったと思います。今、こうして元気に夢を目指していけるのはレインボー会の皆さま含め支えてくださったすべての方々のお蔭であると実感しています。本当にありがとうございました。
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