日ごろ、皆さんから電話などで色々なお問合せを受けていますが、その中でよく質問されるのは、通常、発病してからどのような経過をたどって病気が治り、観察段階に入っていくのかということです。
多少でも皆さんのご参考になれればと思い、観察段階に入っているか、或いは既に観察段階を卒業している方の中から数例をピックアップし、ご紹介します。ただ、病状は千差万別で、レインボー会も専門家ではありませんので、以下の情報はあくまでも参考程度にして下さい。
Aさん、男、8歳、北海道。
02年10月にネフローゼ症候群を発症。ステロイド依存型と診断され、即入院。プレドニン治療開始後10日で尿蛋白(−)になる。プレドニン15mgに減量された時に初めて再発。03年に入ってから、さらに3回再発。いずれもプレドニン10mgに減量された時の再発。6月からネオラール治療開始。プレドニンを停止。8月に退院。
03年9月から腎康丸の服用を開始。ネオラールとアンギナールを併用。腎康丸を飲み始めてからも、尿蛋白が(±)、(+)が暫く続いたが、元気が出てきた。11月ごろ尿蛋白が完全に(−)になる。
しかし、04年1月から風邪を引いたのでもないのに、尿蛋白はまた(±)、(+)になり、2月初めには(+++)になってしまい、再発と診断され、プレドニン30mgを再開。尿蛋白(−)になり、2ヶ月後にプレドニン停止。
04年4月に風邪で再び尿蛋白(±)になり、1週間後に(+++)〜(++++)になったが、風邪が治ってから、暫くして(−)になる。今回はプレドニンの再開なし。
05年3月に風邪で熱が出ても、尿蛋白は(−)のまま。5月末までにネオラールとアンギナールの服用終了。外来も2ヶ月に1度になる。
7月に祖母の家に泊まった時、10ヶ所近く虫刺されに合い、尿蛋白(+++)が1週間続く。
06年4月ウイルス性胃腸炎になり、さらに溶連菌感染症にもなったが、尿蛋白はずっと(−)。
06年6月に腎康丸治療を終了し、観察段階に入る。
Bさん、男、16歳、茨城県。
2002年4月に学校の健康診断で蛋白尿が見つかり、5月下旬に病院でネフローゼ症候群と診断された。5月29日に入院し、5月31日に腎生検を行ったが、結果が分かるまで、10日位かかるので、6月1日よりとりあえずプレドニン8錠、ザンラック2錠を3週間投与することになる。
6月18日より腎康丸を開始。腎康丸開始時の症状は、尿蛋白(+++)、むくみ(特に足)。腎康丸を飲み始めて、1週間位ですぐ尿蛋白は(−)になり、それ以降ずっと(−)を保つ。プレドニンは2週間1錠ずつのペースで減量。4錠になってからは2週間に0.5錠ずつ減量されていた。多毛症、ムーンフェイスも同年末ごろには既に目立たなくなった。体育の授業には参加していたが、ランニングはしていなかった。
プレドニンは03年1月0.5錠になり、そして3月中旬に停止。服用している薬は腎康丸のみとなる。
03年7月に腎康丸を終了し、観察段階に入る。05年7月に観察段階を無事卒業。この方は発症後すぐに腎康丸を併用する形で治療を終了されたケースになります。
Cさん、男、38歳、徳島県。
1998年10月にネフローゼ症候群と診断され、入院。むくみのため、体重16キロ増加。腎生検の結果、多分「微小変化型」ということ(確定は出来ないらしいです)。パルス療法により、尿蛋白減少。尿量も増え、元の体重に戻る。ステロイド錠剤60mgから減量していき、20mgで退院。(同年12月末)半年後、ステロイドゼロになる。
2000年3月に再発し、入院。むくみの為、1日で体重2キロ増加。この時は利尿剤が効き、むくみはすぐ解消したが、尿蛋白は(4+)のまま変わらず、1週間後にステロイド錠剤50mg投与。2週間後に尿蛋白が(−)になる。
ステロイド錠剤を徐々に減量後、20mgで退院。(同年6月)
2001年1月、ステロイド錠剤ゼロになる。
2001年3月、尿蛋白が(2〜3+)の日が続く。同年4月10日、病院でほぼ再発と言われる。その後も(2〜3+)が暫く続き、5月8日よりステロイド錠剤20mg投与開始。10日後に尿蛋白が(−)になる。
5月23日よりプレデイニン錠剤(免疫抑制剤)100mg投与開始。ステロイド錠剤の投与と同時に、腎康丸の服用を開始する。投薬を徐々に減量後、2002年1月15日、ステロイド錠剤0になる。同年3月13日、プレデイニン0になる。2001年5月から尿蛋白(−)。02年6月腎康丸を終了し、観察段階に入る。
Dさん、男、9歳、富山県。
1999年に紫斑病性腎炎を発症。99年8月微熱があり、少しの腹痛、嘔吐も見られ、風邪と診断される。9月両足のひざ下に紫斑が出る。アレルギー紫斑病と診断される。腹痛、嘔吐が激しくなり、総合病院に入院。尿蛋白(2+)、潜血が見られ、紫斑病性腎炎と診断される。
ステロイドの大量投与で尿蛋白(±)、(−)になり、潜血がなくなる。プレドニン10錠隔日に減らされ、退院。
風邪を引いて、38.1℃の熱が出る。その後尿蛋白(2+)、潜血(2+)になる。
2000年1月より腎康丸の服用を開始。プレドニン、アンギナールも併用。7月ごろ、尿蛋白(−)、潜血(+)になる。プレドニン隔日6錠まで減量。11月プレドニン停止。01年8月アンギナールも停止。02年1月尿潜血(−)になる。
02年8月腎康丸を終了し、観察段階に入る。04年8月無事観察段階を卒業。
Eさん、女、31歳、神奈川県。
病気に気づいたのは高校1年(15歳)の4月ごろの尿検査で、その後、ある日顔が異常にむくんでいたため、病院へ行ったところ、ステロイドを投与。3ヶ月服用してから、7月下旬〜8月末までの夏休み中に入院して、腎生検を行い、慢性糸球体腎炎と診断された。
その時から、尿蛋白がずっと多量に出ており、マイナスになることは1度もなかった。色々な治療法を試みるも、病状が好転することはなかった。
腎康丸の服用は2003年9月から開始。他の薬の併用なし。通院もしていなかった。腎康丸を飲み続けて半年が過ぎた頃、職場で健康診断があり、15歳の時からずっと続いていた尿蛋白が検出されていなかった。その後も尿蛋白は(−)を保ち、仕事が多忙でも疲れることなく、体調はずっと良好。
腎康丸は2005年1月まで約1年半飲み続けた。
2005年の春に結婚し、間もなくして子供が授かった。お手紙によると、その後ずっと元気に暮らしているとのこと。
観察段階までの経過は人によって異なりますが、私を含めて、患者のほとんどは発病の直後からステロイド剤を服用しています。半年前に観察段階を卒業したカナダの9歳の少女はご両親の希望で最初からステロイド系の薬などを一切使用しておらず、非常に順調に観察段階に入ることができたという事例もあります。
病歴が長くて、ステロイド剤も長く服用している会員の中には、腎康丸を服用しても、なかなかステロイドをスムーズに停止できなかったり、再発を繰り返したりしている方もいらっしゃいます。それでも、挫折することなく、治癒を目指して闘病を頑張っていらっしゃる皆さんの前向きな姿勢にいつも感動しています。
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