ネフローゼ



観察段階を卒業した会員たちの近況

 

 
最近、病気が治り、観察段階を卒業した会員の一部に追跡調査を実施しました。
  以下は皆さんからの近況報告です。   (2008年8月9日)

  
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●富山県のFさん、紫斑病性腎炎(2004年7月観察段階卒業)

矢野様

 息子が数年前には 大変お世話になりました。
今では絶望していたあの頃がなんだったのかと言うぐらい幸せな何処にでもある生活を送っています。

 小学校三年から始めた野球を7年間続けていますが 問題なくしています。日常生活ではどこにでもいるような中学生活を送っています。小学五年生の時に小児科の経過観察も終わり、月一回の検尿もなくなり 腎臓病で通院する事は無くなりました。息子は今 身長164cm 体重55gです。何処にでもいる 中学生になっています。

 本当に趙先生にはお世話になりました。助けて頂き本当に有り難う御座いました。吉田さんが亡くなった事を知った時は大変ショックを受けました。一度お会いして、御礼したかったというのが正直な気持ちです。吉田さんがレインボー会のホームページを開設してなかったら 今頃息子は人工透析になっていたかも知れません。なんと感謝していいかわかりません。

 レインボー会代表を引き継がれた矢野様 よろしくお願い致します。
 一人でも多く健康を取り戻せることを お祈りします。



●岐阜県のGさん、紫斑病性腎炎(2004年8月観察段階卒業)

矢野様

 はじめまして。お手紙ありがとうございました。
 久しぶりにレインボー会の文字を見て、懐かしく思いました。故吉田将介さんには当時、本当にお世話になりました。

 アレルギー性紫斑病にかかり、腎炎を併発し、長期入院、自宅療養。薬を飲んでも、飲んでも全くよくならず、病院へ行けば再入院、腎生検、ステロイド治療の話・・・。

 何とか、治す方法はないものかと毎日、インターネットで情報を集めました。そんな時に出会ったのがレインボー会です。当時すがるような思いで連絡したことを覚えています。

 発病から7年が経ちました。もちろん娘は健康そのものです。アレルギー性紫斑病が完治してからは、風邪などで体調を崩すこともほとんどなく、病気知らずの体になりました。

 現在も、バレーボールを中心に、スポーツで汗を流しています。当時、運動は2度とできないかも知れない・・・なんて言われたあの日が嘘のようです。

 諦めないで、病気と向き合い素晴らしい薬に出会えたことに心から感謝しております。これからも、一人でも多くの方が元気になられることを祈っております。



●千葉県のHさん、慢性腎炎(2005年9月観察段階卒業)

レインボー会
矢野真理子様

 お手紙を拝受させていただきました。
 レインボー会のホームページで吉田将介様がお亡くなりになったこと、矢野様が代表を引き継がれたことを知りました。大変お世話になっておきながら、レインボー会のお役に立てずに申し訳なく思っております。

 娘の○○ですが、今年4月から5年生(10歳)になりました。学校の課外活動の陸上競技やミニバスケットボールに汗を流し、そろばんも大会で入賞が出来るほど日々取り組んでいます。その行動はとても女の子とは思えないほど活発で、学校生活でのお友達は男の子の方が多いほどです。学校で行われるマラソン大会では、1〜4年生まで1位を通していますし、昨年は4年生で、市内陸上大会の選手にも選ばれました。現在も次の陸上大会に向けて練習を続けています。

 学校では毎年1回、健康診断の折に尿検査があり、現在でも異常値は出ておりません。ただ、かつてかなり悪い検査結果が続いておりましたので、私や妻も未だに尿検査提出前にはそっと試験紙で検査をして、ほっとしてから提出してしまいます。

 薬のことを覚えているかと時折本人に尋ねることがあるのですが、やはり本人もこの薬を飲むことは辛かったらしく、よく覚えているそうです。ただ、自分が病気にかかっていて、この薬を飲まないと治らないという強い思いがあったらしく、相当我慢したようです。

 このように、病気をしていない元気な子供達と同じように(またはそれ以上に)元気で育ってくれているのも、趙先生、今は亡き吉田様のお蔭と心より感謝致しております。今後もこの薬に出会い、病気を克服して、幸せな生活が送れる方が1人でも多くなることを祈っております。矢野様も代表を引き継がれ、大変なこととは思いますが、どうぞお体を大切にして下さい。

○お母様からのお手紙

 はじめまして。○○○○と申します。
以前吉田様に大変お世話になりました○○○○の母でございます。私達は吉田様のサポートを受け、今現在の幸せな時間を手にすることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。

 現在10歳になる娘が3歳の時、はじめてレインボー会に入会。正直なところ半信半疑での入会でした。趙先生の薬を小さい子供に飲ませることの大変さ。飲むことで変化していった尿検査の数値。今でもはっきり記憶しております。泣き叫び飲み込めない子供を前にしてそれでも飲ませ続けるべきなのか・・・そんなことを真剣に悩んだこともありました。

 以前の私のように迷い、心が揺れている方はとても多いのではないかと思います。そのような方がいらっしゃいましたら、私どもの体験談を話していただきたいと思います。私に出来ることがあれば、出来る限りのことをさせていただきたいと考えております。
 一人でも多くの方に私達と同じように幸せな時間を手にしていただきたいと心から願っています。

 吉田様亡き後、趙先生との橋渡しをして下さっている矢野様に感謝の気持ちでいっぱいです。大変なこととは思いますが、宜しくお願い致します。



●神奈川県のIさん、慢性腎炎(2005年12月観察段階卒業)

矢野真理子様

 初めまして。
 先日はお便りどうもありがとうございました。偶然にも私が実家へ立ち寄った日にお手紙が届いており、とても不思議に思いました。

 矢野様も長い間患っていた病が完治したとのこと。病名は違えど、とてもその間のお気持ちが共感でき、私も矢野様が元気に過ごされていることを心よりうれしく思います。また、お忙しい中このレインボー会の代表を務めていただき、心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。

 私の体調ですが、お蔭様でその後大変元気に暮らしております。やはり夏場は苦手で多少むくみがちの時もありますが、蛋白尿が出る事もなく、2歳になる娘の育児に追われながら楽しく過ごしております。

 レインボー会は私にとって良い印象しかありません。それというのも、亡くなられた吉田将介様が実に立派な方であったこと。それが大きいです。恐らくそのような吉田様がこういった矢野様、趙先生といった素敵な方々と通じ合うところがあって、この会の輪が広がっているのだなと認識しております。

 趙先生には私の人生を変えていただいた恩人とずっと心の中で思い続けています。そう私が申していたとお伝えいただけますか。

 矢野様には大変お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。お返事が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。

 矢野様もどうぞ末永くお元気に過ごされることを心よりお祈りしております。乱筆、乱文をお許し下さい。

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